初任校での教え
今から40年ほど前、採用試験に落ち、講師として勤務していた小学校が、私の初めての勤務校でした。
この学校は、当時、文部省(当時は文科省ではなく文部省)の研究指定(2か年)の1年目でした。そのためか力のある先輩たちが多くいらっしゃり、研修も毎日のようにあり、鍛えられたなぁと思います。(どれだけ身に付けることが出来たかは不明ですが)
当時、この学校の教育目標は(今もかな)
「生きる力を育てる気賀小教育の実現」でした。今考えると、40年前にすでに「生きる力を育てる」と言っていたことに驚きます。
そして、「基礎基本の徹底」を合言葉に、まずは「型」をしっかりと教え、そのうえで、創造性を育むことを目指していたと記憶しています。
講師で1年務めた後、そのままその学校で新規採用教員となった私は、新採2年目には1年生の担任(1年目は5年生)となっていました。
その際に、校長先生から言われたことで今でも記憶に残っていることは、
1年生に「片付けなさい」といってもわからない。「整頓しなさい」といってもわからない。
だから「片付ける」「整頓する」とはどういうことか、しっかりと片付けられた様子、整頓できた様子を見せ、やらせて教えていくことが大事だといわれたことです。
昔の人の言葉に
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
という有名な言葉がありますが、まずは「型」をやって見せ、意味を理解させ、やらせてみる。
そこから始まるんだなと思ったことを記憶しています。
その影響からか、実際に手足を使って学ぶ、経験に基づいて学ぶ、そういう場や環境を用意することに力を傾けていったように思います。
また当時熱中していたミニバスの指導では、素人監督であったために、試合での子供たちの動きを自分でもシミュレーションし、どこをどう鍛えればより良い動きになるのか、足りない知識を補いながらいつも考えていました。
これらの体験的に学ぶ、環境づくり、子供の立場・視点で考えるということがベースになり、体験的に地域の交通安全を学ぶ、社会科の授業(当時は1年生にも社会科があった)を研究発表会(自主発表)で行ったのでした。
この授業では、教室の床いっぱいに歩ける床地図を用意(机は外に出し実際に歩けるようにした学校回りの床地図を自作)し、子供たちは、そこを歩きながら、交通安全のための設備などの場所を指摘し、そこにある意味を発表しあうというものでした。
つまり体験的に学ぶ。ということを通して、先人の言葉に近い働きかけができるのではないかなと、考えたのでした。
この学校での私の学びは、今でも自分の中で大きな財産になっていると感じています。そして、40年近くたった今でも通じるものがたくさんあると感じています。
今のうちに伝えたいな。残したいなという思いもあるので(生意気な感じですいません。)、ブログの記事として思いつくままに残していきたいと思います。
この学校は、当時、文部省(当時は文科省ではなく文部省)の研究指定(2か年)の1年目でした。そのためか力のある先輩たちが多くいらっしゃり、研修も毎日のようにあり、鍛えられたなぁと思います。(どれだけ身に付けることが出来たかは不明ですが)
当時、この学校の教育目標は(今もかな)
「生きる力を育てる気賀小教育の実現」でした。今考えると、40年前にすでに「生きる力を育てる」と言っていたことに驚きます。
そして、「基礎基本の徹底」を合言葉に、まずは「型」をしっかりと教え、そのうえで、創造性を育むことを目指していたと記憶しています。
講師で1年務めた後、そのままその学校で新規採用教員となった私は、新採2年目には1年生の担任(1年目は5年生)となっていました。
その際に、校長先生から言われたことで今でも記憶に残っていることは、
1年生に「片付けなさい」といってもわからない。「整頓しなさい」といってもわからない。
だから「片付ける」「整頓する」とはどういうことか、しっかりと片付けられた様子、整頓できた様子を見せ、やらせて教えていくことが大事だといわれたことです。
昔の人の言葉に
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
という有名な言葉がありますが、まずは「型」をやって見せ、意味を理解させ、やらせてみる。
そこから始まるんだなと思ったことを記憶しています。
その影響からか、実際に手足を使って学ぶ、経験に基づいて学ぶ、そういう場や環境を用意することに力を傾けていったように思います。
また当時熱中していたミニバスの指導では、素人監督であったために、試合での子供たちの動きを自分でもシミュレーションし、どこをどう鍛えればより良い動きになるのか、足りない知識を補いながらいつも考えていました。
これらの体験的に学ぶ、環境づくり、子供の立場・視点で考えるということがベースになり、体験的に地域の交通安全を学ぶ、社会科の授業(当時は1年生にも社会科があった)を研究発表会(自主発表)で行ったのでした。
この授業では、教室の床いっぱいに歩ける床地図を用意(机は外に出し実際に歩けるようにした学校回りの床地図を自作)し、子供たちは、そこを歩きながら、交通安全のための設備などの場所を指摘し、そこにある意味を発表しあうというものでした。
つまり体験的に学ぶ。ということを通して、先人の言葉に近い働きかけができるのではないかなと、考えたのでした。
この学校での私の学びは、今でも自分の中で大きな財産になっていると感じています。そして、40年近くたった今でも通じるものがたくさんあると感じています。
今のうちに伝えたいな。残したいなという思いもあるので(生意気な感じですいません。)、ブログの記事として思いつくままに残していきたいと思います。